2004.11.08
なにげない一言。
良かれと思って発する親切心、
心配する言葉というのは場合によってはそれが逆に働くことがある。
ここに書かれていることは今から約3年以上前の話です。
3年前、交通事故に遭った。
まるっきりヤラレ損の事故だった。
その時わたしはほかの場所でHPを持っていた。
これから病院通いになるため更新できないことを掲示板に残しておいた。
それを読んでくださった方からのメールを携帯やPCに貰い、
ありがたいなぁ?って、ネットで知り合った人たち、友人たちに感謝していた。
次の日からもゆっくり寝ているわけにもいかず、病院に行ったり警察に行ったり、
毎日忙しく過ぎていた。
ただムチ打ちからくるものなのか、後頭部に変な痛みが走りわずらわしかった。
数日経っても痛みは変わらなかったので、この痛みはこれから一生取れないのかなぁ・・・と少し悲観した。
その時はただそれだけだった…。
車は修理にいって数週間乗れないため、レンタカーを借りて移動。
その日も母の用事で渋谷に向かっていた。わたしはカーナビ役。
事故に遭った場所をその日は通らなければならない。
事故に遭った場合、その現場を通ることができないということを聞いたことがあったので、少し不安だったがそこ以外の迂回路を知らなかったのでそこを通るしかなかったのだ。
それまでにも、
『そうそう!こんなとこから飛び出してきたんだよねー!
避けれるわけ無いじゃんね?』などと事故の時の会話をしながら走っていた。
そしてその現場もなんとかクリアー。
母の用事が過ぎるのを車内で待っていたとき、携帯が鳴った。
ネットで知り合った方からだった。
その方も少し前に交通事故に遭っていたので心配して掛けてくれたらしい。
ありがたいな?と思ってしばらく会話を楽しんだ。
首と後頭部が少し痛みますけど、なんとか無事ですよ。 と伝えると…
『怪我は治っても、これから精神的なものがね…』
・・・ん?
どういうことだろう・・・ ピンとこなかった。
なにげない一言なのに、その言葉が妙に引っ掛かった。
これからどうにかなってしまうのか…?
身体はつらいけどなんとか生きてるよ?なんてことを考えていた。
しばらくはいつも通りの日々が過ぎていった。
だけどあの言葉だけが頭から離れない。
ムチ打ちをやったことによって精神的に参っているから気になるのかな…。
怪我による精神的なこと言ってくれてたのかな…
でも、怪我が治っても・・・ってどういうことだろう。
その後いろいろ忙しくてなかなかネットに繋ぐこともできずにいたが、
一段落してその人とメッセンジャーで話しをした。
電話ありがとう、とてもうれしかったことを伝えた。
すると自分の事故のとき大変だったらしく、いろいろ話しをしてくれた。
事故のこと、車のこと、道路のこと…
正直聞きたくなかった…
わたしが事故に遭ったことがあるのは今回が初めてではない。
今でもその光景は忘れられない、とても辛い経験…。
思い出したくないし、話したくもない。
一通り話すことができるようになったのもごく最近のことだし…
でも今回の事故で話せなくなった…。
だから聞くのも辛い。
どんなに大変なのかは言われなくても分かってる。
あの光景…忘れようとしても忘れられない。
その時わたしはまだ幼かった。
母がいなくなるかもしれない…恐怖でいたたまれなかった。
自分がこれからどうなるのか…幼い心が壊れそうになった。
その人はいろいろ話してくれた。
その人は親切心でいろいろ話してくれたのだと思う。(思いたい)
自分の経験による教訓を教えてくれてたのかもしれない。
今回の事故に遭う前までであったら聞き流せてたろう。
でも今は無理だ…。すべてが自分のことのように思えてしまう。
聞いていくうちに段々と気持ちが沈んでいく。
これだけで済んで良かった。と思うのが正しいのか・・・
『今回は』 これだけで済んだ。と思うのが正しいのか・・・
そんな気持ちになっていく。
その人と話していくうちにどんどん悪い方向、悪い方向に気持ちが傾いていく。
最悪のことばかり考えていく。
きっと平常心ならば、なにげない話題なのだろう。
でも事故に遭ってすぐのわたしにはキツスギル。・・・キツイ
『怪我は治っても、これから精神的なものがね…』 が頭をよぎった。
あぁ・・・このことか。
それも、この人の会話で引き金が引かれた・・・。
それまで事故の後でも普通に乗れていたのに…
そんな悪いことなんか考えてなかったのに…
人によっては、自分より大変な体験を聞くと、この人よりはいいのかもと思って立ち直っていく人がいるらしいが、わたしには今回の事故は、過去のことも手伝って一気に噴出してしまったみたいだ。
次にその大変な体験を経験するのは、わたしなのかもしれない・・・と。
考えなきゃいいものを止まらない。
この思いをどうしたらいいのか分からなくなってしまった。
その人と話していくうちに、どんどんそんな考えになっていったのだから
その人にぶつければいいはずなのに・・・。
でもぶつけられなかった…
わたしの悪いところは、
これを言ったら相手が傷つくかな・・・
これを言ったことによって、こんな風に考えて(考えさせて)しまったらどうしよう。
そんなことを考えてしまうと、自分の正直な気持ちを話せず躊躇してしまう。
ネットに関しては特に…。
だって相手の顔が見えないんだもん。
相手が不愉快な顔になったとしてもそれをうかがい知ることはできない。
現実に顔を見て話せばすべては分からないまでも顔の変化で、
あ…この話しはやめておいた方がいいかな…?とか分かる場合もある。
でもネットではそれができない。
自分と同じ考えにさせてしまったら悪いと思い、話せなかった。
でも自分がいっぱいいっぱいになりどうしていいか分からなくなり、
とうとう母に話してしまった。
いろいろな話を聞いて車が恐怖になってしまったこと。
『怪我は治っても、これから精神的なものがね…』という意味は
このことだったのか…と。
しばらくわたしの話を聞いてくれた。
そして母の思いも話してくれた。
『わたしも車の運転は怖い。だけどわたしが運転できなくなったら
誰が運転してくれるの?怖くたって運転しなければならない。
おまえの面倒見るためには運転しなければならないんだよ。』…と。
あるネットの友人は
『らるが怖いより、お母さんは運転しているんだからもっと怖いんだよ』
って言ってくれた。
そのとおりだ。わたしも気持ちを切り替えなきゃ。
怖いと思ったって仕方がない。
結論なんか出ないけど、前に進むしかないのだ。
今までだってもっと酷いことがあったではないか。
なにをこれしきのことで悩んでいるんだ!
人の言葉に左右されてどうする!
でも今回のことで勉強になった。
なにげない一言だって、時と場合によっては選ばなければいけないのだ!
そして、思ってることをハッキリ言える強さがほしい。
No!!! と言える強さ。相手を思いやる気持ち。
ネットという顔の見えない世界だからこそ、相手を思いやる気持ちが必要なのだと思う。もっと気を付けなければけないと思う。
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